レガートを意識する
伴奏のレッスンをしたり、
合唱の伴奏を弾く機会が多い秋の季節。
来月、ステップで
歌曲伴奏にチャレンジします。
選んだのは、
滝廉太郎作曲「荒城の月」です。
音楽の教科書にも載っているので
ご存知の方も多いでしょう。
私は日本歌曲が大好きなうえ
プロの声楽家の方のレクチャーを
受けることができるので
どんなことを聞けるか楽しみです。
普段、私たちが話している日本語。
その日本語の歌というのは、
外国語に比べ独特です。
よく言われるのは、
イタリア歌曲、ドイツ歌曲など
同じ声楽曲でも、
日本歌曲は特殊な分野だということ。
発語や意味、レガートなど
音楽に日本語を乗せると
難しさは倍増されるのではないかと
思っていました。
しかし、日本語という「ことば」を
人一倍大切にする文化に生まれて
豊かなことばに触れるたび
感動すら覚えます。
文字ひとつにも意味があり
ことば自体に想像力を込め
ことばに多様性を持たせ
ことばの抑揚に情感をのせ、
古くは、和歌に始まり、
謡曲として独自の進化していく中に
出会ったのが西洋音楽でした。
明治の文明開化とともに
西洋の調べに日本語を乗せていく過程は
思考錯誤の連続だったに違いありません。
その中で、「日本語」と「西洋音楽」の融合に
滝廉太郎は、美しく、物悲しく
荒涼とした静寂の中に漂うような調べを歌いました。
先日、多喜先生に
歌曲の伴奏を聞いていただきました。
まず言われたことは、「レガート」
日本語の宿命で、
ラップや話し言葉でない限り
ことばがひとつの音に対し、一語なので
常に次に移行する際
メロディーの輪郭を埋めていくように
レガートを意識すること。
これは、ピアノという楽器が
減衰していく特徴を持っているがため
ゆっくりした曲は、
レガートに気を配らなくてはなりません。
レガートが宿題です。
たとえば、外国語の場合、
ド、シ、ラ、ソの中に
credimi almen,(信じよ 私を せめて)
こんなにたくさん入ってます。
伴奏するとき、
区切りやブレスを確かめることをしますが
これは呪文のようで、日本人には難しい。
「これは、私の持論なんだけど…」
多喜先生が言われたことは
「絶対音感の持ち主で、
鍵盤楽器奏者はレガートができない」
これを聞いた私は、
ものすごく驚いたと同時に
納得してしまいました。
それは、絶対音感という
「ドレミ」でラべリングできる能力は
一音に対し一対応だからです。
確かにドレミで聞き取れる能力は
素晴らしいのですが
「ドレ、ミ」という歌なのか
「ド、レミ」という歌なのか
「ド、レ、ミ」という
ばらばらになった音では
音がわかっても、歌がありません。
階名唱の強要は、
音感のトレーニング程度に
とどめておくべきで
すべてのフレーズは「うた」であって
決して「ドレミ」と言ってるわけでないのです。
衝撃をうけたまま、家に帰り
娘にレッスンの話をすると
当然という顔をされてしまいました。
歌の基本は、声と息がミックスされた
レガートであり
また、早いパッセージなどは
「いちいち階名なんかで歌わないよ」
娘の話も納得がいきます。
「そいえば、以前伴奏者で
絶対音感の子がいたんだけど」
「移調もすぐできるし、
音の間違いの指摘もずばずばするし」
「でもね、重いんだよね。伴奏が」
伴奏がきっかけで、
勉強になることばかりです。
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